なぜ人は自分に対して向けられている言葉を、自分には関係のないことだと受け流すことができるのだろうか?
あるところに小便器の周りに小便をこぼすオジサンがいました。
これは由々しき問題だと考えた男は、公共のトイレの壁に貼ってあるポスターのことを思い出しました。
「もう一歩前へ!」
そう、この言葉はある程度歳を重ねたオジサンに向けた言葉である。
子供から若い男性に至るまでは、公共の場でTimpoを人に見られることは恥ずかしいと考え、自分のTimpoを隠すために、そんなことを言われる前から小便器に近づくものである。
しかし、一定の年齢を超えてくると、羞恥心というものが欠如するようになり、他人にTimpoを見られても減るもんじゃないしどうってことないと考えるようになる。
そうなってくると、小便器に密着した窮屈な姿勢で放尿するより、一歩下がって自分の楽な姿勢で放尿するため、小便器の周りにおしっこを飛び散らかしてしまうのである。
そのための「もう一歩前へ!」であるため、一般的にオジサンと称される歳の方にとっては一般常識なはずである。
この言葉を使えば、あのオジサンだって自分に対して向けられている言葉だと理解し、きっともう一歩前に踏み出してくれるだろう。
そして、今までの行為を悔い改めてくれるだろう。
そんな期待を胸に、事務所に「もう一歩前へ!」ポスターの製作を依頼しました。
出来上がったポスターには
「もう一歩前へ!みんなのトイレです。キレイに使いましょう。」
と、親切にも一歩前へ出なければならない理由まで付け加えてありました。
男はポスターの出来に満足し、さっそく小便器の真上、ちょうど目線の当たる部分にそのポスターを貼り付けたのであった。
しかし、男の思った通りには事は進まなかった。
翌日からも、ポスターを貼る前と変わらず、とんでもない量のおしっこの飛散。
まさか、気付いていないのか?
そんなはずはない。ポスターを貼った後、そのオジサンは男に向かって「ポスター貼ったんだね」と言ってきたではないか?
気付いているのに無視している?
いや、無視しているのではない!
自分に向けられた言葉だと全く理解していないのだ!!!!
男はがっくりと膝を落とし、淡い期待を抱いた自分に一抹のやるせなさを感じながら、現実の世界に戻るのであった・・・
こういう人って、面と向かって「○○さん、○○してくださいね」って言わないと絶対に理解してくれないんですよね。
いくらわかりやすい暗喩で伝えようとしても、自分のことじゃないって思っちゃいますから、必ず名前とセットで伝えないといけません。
でも、自分と20歳近くも離れていて、立場も上の人に対してはなかなか伝えにくいものがあるんですよね。
仕事に関してじゃなく、その人の人間性に関わることなんで、さらに難しい気がします。
どうしたの?
仕事の悩み?
>きはるさん
ボクはこんな小さなことで悩んだりなんかしません。
釣りに行きたいのに寒くて身体が動かないのが悩みです。
以前よりかかなり暖かくなったよ。
春が近づいて来てますね。
釣果はまだまだ冬ですが・・・・
>きはるさん
今週始動します。